二代目エランは形式名からM100系と呼ばれ、初代と区別される。
デザインはロータス・エスプリの80年代のビッグマイナーチェンジも手がけたピーター・スティーヴンス(Peter Stevens )によるもので、エスプリを前後に圧縮して屋根を切り取ったようなデザインを特徴とする。
生産規模が小さいため、二代目エランの価格は米国市場で4万ドルと高額で、同じく初代エランを範としたとされるユーノス・ロードスターより5割以上割高になってしまった。
FWDレイアウトに対する保守的なスポーツカーファンからの否定的な反応や、主力市場米国での景気後退等の影響で、二代目エランは商業的成功作にはならなかった。
1992年までに3885台が生産されたところで、3600万ポンドの累積損失とともに一旦生産は中止された。
1994年、GMから経営権を買い取ったブガッティのロマーノ・アルティオリのもとで復活し、S2モデルとして800台が生産された。